オッス!弁慶だす。
高速道路は渋滞がどんどん延びてるようだす。
栃木から千葉はビックリするほどの距離ではないだすし、
一般道は渋滞もなくスイスイだすから、
このまま一般道で帰るつもりで車を走らせてるだす。
オラはする事無くて暇なんで睡魔が襲って来てるだす。。。
高速道路ならPAでトイレ休憩とかできるだすけど、
一般道だと休憩場所に困るんだすよね。
そんな時は道の駅があると助かるんだすよ。
なんて話をしてたら道の駅発見だすよ!
しかも「那須与一の郷」って看板にあるだすけど??
源平合戦の屋島の戦いの時に活躍した那須与一さんの故郷ってここだっただすか?
ほほぉ~
知らんかっただすなぁ。
みんなは「屋島の戦い」と「那須与一」はもちろん知ってるだすよね?
もしかして簡単に説明した方がいいだすか?
そんじゃ大雑把に説明するだすよ。(笑)
ときは1185年2月、
讃岐屋島へ逃れた平家を追って義経は阿波に上陸し陸路で屋島に迫り、
背後から平家を急襲しただす。
驚いた平家軍は船に乗って海へ逃げだしただすが、
源氏軍が案外少数と知って応戦し激しい戦いが繰り返されたんだす。
日が暮れて戦いを中断するのに両軍が兵を引きかけた時、
沖の平家軍から若い美女を乗せた小舟が岸に向けてやって来たんだす。
舟には紅地に金の日の丸が描かれた扇を竿の先にはさんで船先に立てあるだす。
小舟の美女は陸の源氏に向かって手招きをして、
船先にある扇を射抜いてみろって挑発してるだすよ。
『これを見た義経は弓の名手の那須与一宗高に扇を射抜くよう命令するんなり。
与一は当たらないかもよ?って言い訳しながら、
少しでも的に近ずこうと馬で海に乗り入れるなりが、
それでも的の扇までは約40間(約70メートル)とメチャメチャ遠いなり。
しかも風が強く吹いて小舟は激しく揺れて狙いが定まらないでいるなりよ。
でも「南無八幡」と心に念じた与一が渾身の力で鏑矢を放つと、
放たれた矢は見事に扇の根本に命中して、
扇は空へ舞い上がりヒラヒラと海へ落ちたなり。
この様子を見守っていた源氏・平氏の両軍とも、
見事扇を射抜いた与一を歓声をあげて褒め讃えたって話なり。』『説明したのはメチャメチャ省略した話なりよ。
ホントの「平家物語」では義経に無理矢理やらされた感じに書いてあるなりよ。。。
しかも射抜けなかったら命はないって重圧の中で臨んだ一投だったんなりよ。
だから与一さんは義経を良くは思ってないかもなりな。。
オイラ義経の名前頂いてるなりから、
さっきから与一さんに睨まれちゃってる気がしてるなりから、
はやくここから降ろしてくれなりよ。。。
もしその辺の事を読んでみたければこちらで読めるなりよ。』にほんブログ村[0回]
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